| トーラーはある主張をするために言葉、概念で直接言うのではなく、即ち必要な言葉が見つからない場合、或るエピソードを巧妙に否定する形で宣言、主張するのです。例えばバベルの塔の物語は塔を作ったことと人が散らされたことの因果関係を述べながら、寧ろそのような物語に仮託して、人が塔を作ることによっては神に近づこうと目論んだことに対して否定的態度を取っているのです。神は天には居りませんよ!トーラーの中にも神が天にいるとは書いてはいませんでした。高い処を目指しても何ら君らの力の源にはなりませんよ!お門違いもいいところですよ!と言われてるようなものです。警告を発したのです。そう言う方法で聖書は構造を作って語りかけているのです。そう言う手法はこれから聖書をもっと読み込んで行くと見つかると思います。自分から期待しているところです。神は、世界創造の仕事を自らの発意に基づいて行い、六日間働き、最後の7日目に出来上がった作品を見て満足して安息しました。これは誰の為でも無い、自分自身の仕事をしたと言う事です。ところがヘブライ人たちがエジプトで奴隷生活に身をやつしたことへの落差に或主張を見出すことが出来ると思います。エジプトでの奴隷生活と言うのは人の本来のアダムに息を吹き込んで伝授した生き方とは丸でかけ離れていた為、モーセはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神を思い起こさせて民を鼓舞したわけです。物語ではモーセを通して神は民に伝える形にしています。本来の労働、生きるとは何かを思い起こさせようとしています。しかし、実際には民は素直に祖先の伝承を思い出してはおらず、もモーセにに付き従う行動を取れず、モーセは杖を蛇に変えたりのトリックを使って騙し騙し丸め込んで行くのですが、モーセという領導者と民の乖離があることを意識されいて、宗教的丸め込みを行なおうとしていますが、様々なと言うか、何が何でも民を連れて行くモーセの強い意思を感じさせる事でもあります。聖書を読んでもどこからどこまでが歴史的事実であるのか、フィクションなのかは解りません。宗教的な主張に従って纏められていると言うしかありません。話がバベルから飛んでしまいましたが、モーセにおいてどう云う点に気がついたのかが構造的に解る例なのです。丁度モーセのエピソードから宗教的パッケージがスタートしたと言っても良いかと思います。続く |
מבנה
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2013年2月18日月曜日
| 例えばバベルの塔の物語 |
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