| クリスチャンの捉え方と違うのかもしれませんが、ですから、トーラーתורהとは言わず旧約聖書old testamentと言うのでしょうが、トーラーでは『主体性』、 『自己決定権』『自発性』などを放棄する様な事態になると、忽ちそれは殆んど悪、乃至は不幸な状態であるとの判断が下されるようです。否定的に扱われるのです。当にアダムとエバがエデンを追放されたのもこれが原因だったと言えないでしょうか?アダムはエバの言いなりだったし、エバは蛇の言いなりでした。物語りの字面上では木の実を食べた事が恰も原因のような書き方がされてますが。また、ヘブライ人達がエジプトで奴隷と言うか、民族丸毎不本意な労働を強いられる事態に対して脱出を領導しようとモーセが立ち上がり、民衆を鼓舞し、追い立てて行った訳です。エジプトに留まる事が益々状況を悪くして行くことが過越祭のハガダー(式次第)にも、その重要性の為があるのでしょう、記憶に留めるべく記載があります。勿論トーラーתורהにあることですが。何故『自己決定権』を重要な事としているのでしょうか。それは神が創世記においてまず初めにその様に働いたからです。神のハッキリとした姿を表現し、その後アダムを作った時に鼻から息を吹き入れてひとの生き方に託し入れた。神の似姿とは形だけではなく、生き方まで落とし込んだのではないでしょうか? 『自己決定権』を維持出来ているウチは人は幸せに自立して生きられますが、 『自己決定権』を失うと途端に良くない事ばかり起こりますという警告が発せられる事になります。これは、文字面には書かれていませんが、行間という言い方が曖昧でしたら脈絡、構造、構成を意識して読んで行くと浮かび上がってくるものかと思います。 |
מבנה
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2013年2月12日火曜日
| 浮かび上がるトーラーתורהの「自己決定権」というテーマ |
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