| 私はやっとこの歳になって40年前の大きな経験があり、その後トーラーやヘブライズムの構造について考える事に到りましたが、そのトーラー解析については子供の頃所属していたキリスト教と言う反面教師が大きかったです。簡単に言いますとトーラーは文字で書かれているのですが、文字面だけ見ていては全く解らない様に出来ていた事を自分で発見出来た事です。正直言って一寸どころか非常に驚いたと同時に嬉しくもありました。俗に言う行間を読むと言う事ですが、行間以上にハッキリした構造が見えた時には興奮したと言って良い位です。構造は始め何となくでしたが、落ち着いて解析の方法を整理して行ったのですが、(未だそれを文章化していません。)解析の方法を確定するのは時間の問題と自負しています。構造は文字として書いてないので炙り出しの様に火に炙りながら浮き出してくるのを待つのですが、最近思ったのですが、世界を見る為には自分で解析の技術を持たないとダメだなと思った事です。ユダヤ人科学者が次々とノーベル賞をとっていますが、彼らはおそらくデータ化出来たものをコツコツ集めてジックリ観察するんでしょうね。解析技術もデータをかき集めないと開発出来ないと思うので、やはり、ユダヤの科学者にはトーラーの影があると言って良いと思います。 今、文字に書かれて無い概念をどうやって可視化、証拠化するかと言う事が私の課題です。見えないものを可視化するにはどうするかです。「光りあれ!」と叫んでみましょうか?たぶんそう言った事なのでしょう!私は時々数学的な方法を学びながら参考に出来ないかを考えているところです。 |
| 解析と解釈とは別の概念です。解析は解剖学に似て、腑の意味付け以前の行為ですが、解釈は取り出した腑をどの様な意味を持っているかの意味付けを考える事に当ると思います。 |
| 行間を読むと言うと非常に曖昧なものに感じるかと思いますが、可成客観的に捉える事が出来ると思います。それはトーラーの物語に客観的な特徴を評価する事は可能であると考えています。日本的には曖昧なものに感じられるとしても、物語を冷徹な事実として記述する事は可能です。この様に事実として記事を横断的に観察する事も可能であると思っています。いずれにしても観察の方法を自ら編み出さなければ科学的に誰もが納得出来る理解を得る事は出来ないと思います。 |
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