| トーラーでは直接矛盾について言及はしていないものの、警戒心を持っているのではないかと思います。 |
宗教自身が内部的に矛盾を感じた時にその矛盾を表現出来るだろうか?それは非常に難しいと言えますが…何を言ってるかというと、宗教が一番テーマとすべき事を直接訴える事自身が既に出来ない位矛盾が取り返しのつかない程拡大している場合にその事を知らしめる事が出来るかと言う問題です。内部的に気がついているかと言う事です。こんな事を問題にするのは私位かも知れません。宗教の内部にいる者にとってその宗教を信じている事で充足しているのですから疑問の余地はない筈ですが、私の課題は宗教が犯す矛盾に向いていますので、則ち宗教を相対的に見る立場ですので、宗教が本来の目的を如何に達しており、如何に外しているかを観ておく必要があると思うからです。具体的には、例えば、宗教が人の救済を標榜しながら殺人を正当化したりする時に矛盾が生まれてる筈と考えるからです。現代においてその様な現象が起こっている事は列挙出来る事です。
その様な警戒をトーラーは果たして持っているだろうかと言う疑問があったのですが、出エジプトに於いてモーセの物語に警戒ではない形ではありながら、民衆を領導する時に恐る恐る踏み出した時に取った方法がありました。トーラーは民衆が只では動かない事を十分承知していたので民衆の理解できる範囲に留めて、ある方法を取ったと記しています。即ち、本来の危機感とは無関係な方法で、不思議であり、神秘的な方法を使って、これで民衆はついて来ますと神に言わしめています。本来の目的を隠すと言う方法をとったのです。出エジプトは手段であって、カナンに入る事が目的だった事を暗に語っているのだと思います。しかし、目的に結びつける直截的な方法がなかったのだろうか?と思います。イスラエルの民に、真の目的を三人の族長を思い出させる事によって説こうとしていると思います。
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