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出エジプト3章14節で神は自己紹介をしてます。その時の名前は、トーラーに頻出するאלהים(elohim)やיהוה(YHVH=Adonay)ではありませんでした。そこではモーセにאהיה אשר אהיה(Ehye asher ehye)(敢えて英語で翻訳すれば=I will be that I will be=これでも意味は不明です。)と長い名前で神自ら紹介しています。これを自称とします。ただし、日本語翻訳は全く頂けません!実際、翻訳しにくいところではありますが、「私はあると言う者だ。」(新共同訳)では何を言ってるのかさっぱり解りません。「あると言う者だ」では、未完了的なニュアンスが出ていません。また、強意のニュアンスが全く伝わって来ません。翻訳し難いのであれば、この仕事に携わった先人達は翻訳し難い事を読者に先ずそのまま白状し、伝える義務が無くはなかったでしょうか?私はこう言う先人達の努力の割に下心見え見えの態度(神学)には正直言って大変腹が立ちます。正確には訳せない理由をハッキリさせて世に問わなければ、何を日本語訳として残す意味があるのでしょうか?抑もモーセが何と呼んだら良いですかと尋ねた事なのに、その後その名を誰が呼んだかの痕跡がトーラーの中に見付かりません。אהיה אשר אהיהのまま書かれてる所はコンコルダンスで調べてもありませんでした。אהיה 単独なら一箇所ありましたが。 それでは、יהוהとאהיהの関係を考えた方が良さそうです。両方とも英語で言うところのbe動詞と言っていい動詞です。先ず先にאהיהは通常動詞のパアル態一人称未完了です。יהוהは正確な文法解析は解りません、未完了らしき風情はありますが。ただ、母音を示す記号が伝わってないのです。また、ユダヤ人が宗教上の理由で発音をAdonayと言い替えて伝えてきた為、正確には伝わって来なかったので、解りません。 しかし、ここで引き下がってはこのブログを命懸けで書いている意味がありません。ですから、以下の様に考えるのです。 先ず、יהוהは完全固有名詞と言う考え方がありました。そうであれば意味など幾ら考えてもしょうがありません。又外国の神の移入と言う考えもあるでしょう。しかし、固有名詞ではあるけれど、どんな固有名詞にも語源はある筈、普通名詞が元になって固有名詞化した筈と考える事も考えられますので、אהיה אשר אהיהがその語源ではないかと取り敢えず推測するとします。折角神が最初に自ら名乗ったのですから、無視する方が寧ろ不自然と考えるのです。まず先に神が自ら名乗った方を最優先で考えてみるのです。すると、パアル態が二つ重なっていますので、強意と見なしてそのままbe動詞ピエル態の中に変化形を探して見る事にしましょう。矢張り、ピエル態三人称未完了形にあった事が分かります。この段階では勿論母音は解りませんので、ピエル態三人称未完了なのかは解りません。少なくとも子音の組み合わせだけから推論した形です("201Hebrew verbs"page66/ BARRON'S EDUCATIONAL SERIES,INC.)。子音の組み合わせだけでも十分です。これが最有力候補と言えます。何故三人称かと言うとイスラエルの民が神を他称として呼ぼうと言うのですから一人称ではない事が推測されます。be動詞、未完了である事は変わりません。神の自称(一人称)が三人称に変わったのです。 こんなに簡単に見付かるとは拍子抜けします。私は更に推測して、これはユダヤ教独特の秘匿技術ではないかと考えました。推測ですが。子々孫々代々伝えてきた神の名です。一族の財(たから)です。無闇に異邦人には教える訳がありません!יהוהは長い間ユダヤ人の中では口にしてはいけない言葉だったのです。ある時は「エホバ」です!とか煙に巻いたりもしていたと思いますが、יהוהが実はチャンと目に止まる所にあったのです。ユダヤ人は矢張り賢いので、その辺に転がっているのにウロウロ探す者達を眺めてほくそ笑んでいたと思います。ユダヤ教は警告の宗教だと私は思っております。安易に神を知った積もりになるな!と言う事だろうと思います。יהוהはかなり本質を突いた名前だったのです。その点キリスト教は特に日本のキリスト教の場合は「神」に「様」を付けてまで奉ります。困った態度だと思います。神様と呼ぶ事は本当に必要な事だったのでしょうか?そこまでしなくて良かったと思います。そこには狂信の芽があると感じます。「神様!」と言って高揚感に浸る人を何人も観ていますので。どの道日本人はそのままでは異邦人でしかありません。יהוהはユダヤの民のものです。日本人にとって神は明治初期に翻訳されたものにしか過ぎません。明治初期の翻訳次第では神は天主になっていたかもしれません。神派と天主派のウチたまたま神派が勝っただけですから。 神名論は私は以前にも小規模に発表した事があります。その時点では未だコンコルダンスを利用していませんでしたが、今回は膨大なトーラーの中に同一の単語が有るか無いかの調べを素早く出来る様になっています。このトーラーのコンコルダンスקונקורדנציהはイスラエル旅行した時の大事な買い物でした。 神が自己紹介した時の名を語源としますとそこから派生した他称は五書の最初から使われているのは、トーラーが何度も編集の手が入ってる事の裏付けだろうと考えています。書き方、順序が前後しているので錯綜の原因となっていますが、宗教的主張の為に神名の読み方、読替えは後からの作為と考えた方が良いと思います。何れにしても宗教的整合性が優先して、物語りの進行には目を瞑ったということなのでしょう。 神名論は私は以前にも小規模に発表した事があります。その時点では未だコンコルダンスを利用していませんでしたが、今回は膨大なトーラーの中に同一の単語が有るか無いかの調べを素早く出来る様になっています。このトーラーのコンコルダンスקונקורדנציהはイスラエル旅行した時の大事な買い物でした。 神が自己紹介した時の名を語源としますと、そこから派生した他称は五書の最初から使われていると云う事は、トーラーが何度も編集の手が入ってる事の裏付けだろうと考えています。書き方、順序が前後しているので錯綜の原因となっていますが、宗教的主張の為に神名の読み方、読替えは後からの作為と考えた方が良いと思います。何れにしても宗教的整合性が優先して、物語りの進行には目を瞑ったということなのでしょう。 |
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2013年12月16日月曜日
| 久しぶりに神名論書きます。 |
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