何故「目黒三丁目学派ー非言語的要素に観る構造的、力学的解析」と言うブログ名にしたか?①先ず 「目黒三丁目」と言うのは一見してふざけたように見えるでしょうか?理由は巷から手が届くべしとの思いを込めています。②学派は特定の学的議論ではなく、視野を変えようと言う提案を前面に出しています。方法を新たにしたいとの気持ちを込めています。③非言語的要素は表面的な言語から離れて行間を読もうとの想いがあります。④構造的、力学的解析は行間を読んだ事によって得られた行間に垣間見えたトーラーの姿、骨格の事です。ふざけたり茶化してる訳ではありません。但、お伝えしておきたいのは、私がヘブライ語でトーラーを読める様にして貰った学ぶ会の存在が大きかったのです。ここでヘブライ語を徐々に学べてヘブライ語の知識が助けとなり、共に机を並べ学んだ仲間、論客の存在がなければなりませんでした。仲間は様々な視点を提供してくれました。その視点をそのまま拝借した訳ではありませんが、刺激は大いに受けました。 そして何よりも、我々が共通している事、即ち宗教が人の救済の為であるので、真に救済を必要としている人の手に届くものではなくてはならないという思いがある為です。真に救済を求めている人の方に責任は一切無いと私は思っています。開くべきは宗教主催者の側の心であろうと思っています。ヒエラルキーなどは一切不要です。見て来た様な彼の世の描写などする必要は全くありません。如何に此の世で自他共により良く生きるかを考えるだけで十分なのです。行動だけ自他共に問うだけで結構だと思っています。
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| 常に心している事は、宗教は実際に現実に救済は成されなければならないが、安易な方法は無いと覚悟しなければならないと言う事。そう言う思いを持ち乍ら宗教の安易さを逆に批判したいと思っています。救済されたい側の内省無くして手の届くものではないと言う事だと思います。自らの観念構造を振り返らずに安易な救いなどあり得ないと思います。 |
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