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現代までに科学的方法が進歩しているにも拘らず宗教当事者、領導者達は何の例えなのか不明だけれど霊魂の存在を何の躊躇もなく、当たり前の様に口にしています。又同様に冥界を見て来た様に描写したりしますが、何故蒙昧な言辞を使って最もらしい事を言い続けるのでしょうか? この宗教当事者達は極めて政治的である事を我々は見抜いておくべきです。古代に於いては確かに肉体と内在的な心の在り方を分離して、分離されたものを霊魂と称してこの行方を死後の世界を想定して考えたでしょうが、我々が現実に生きるに当たり、生きてる現実に於いて解決出来なかった問題を次の世を想定して次の世に先送りする心的働きによると思えるのです。ここで心的と言うのは心の実体的存在の事を問題にしているとかしていないとかではありません。人の総ての思考や動的なことを含めて生きる在り方の事を指します。今私がここで、心があるなしを述べることは論旨から外れるので敢えて説明は加えませんが、古代人に於いても霊魂をどの様に考えていたのかを証明する手立てがありませんので、深くは述べられませんが、古代に於いては例えばトーラーを携えて来た彼の民族はものの例えとしては大いに語りましたが、神、天使、霊等を過剰に描写することなく、ある時点に来ると大変に警戒した形跡があります。それを描写すること自身には熱心ではなかったというべきかもしれません。トーラーの中では現実に関与する事の方に切り替えている様に見えます。 現代人にとって恐らく恐怖に感じることの中に、次の世が無くて、冥福などと言うものは存在しないのだと認める事ではないかと思いますが言い過ぎでしょうか?我々の生は一回限りと言う事は頭では分かっていても、認めたくない事ではないでしょうか? 我々は今現実に生きているこの場で善悪の判断をしなければならず、訂正したければ今ココで訂正し、謝るべき行為は今ココで謝らなければならないと言う事だと思います。償いはココでしなければならないのが原則だろうと考えます。 |
| 冥界を設定したくなる心的現象はこの世(=現実の問題)を次の世に先送りする、無きものにする心的働き(=病理=病気ではありませんが、心的強い依存)でしかありません。善悪の問題はこの世=現実に於いてこそ決定すべき事です。次の世に先送りして、この世の責任を回避すべき理由はありません。心は不可視ですが、常に他者と共鳴しながら動いています。心は実体的には脳ですから、肉体からの分離は出来ません。肉体の終了とともに終了するものです。ですから、善悪の問題は先送り出来ませんし、この世の問題として解決しておかなければならないのだと考えます。肉体霊魂分離論は現実回避の病理以外の何ものでもありません。 |
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