מבנה

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2014年1月24日金曜日

思策の出発点     

私がトーラーに対して疑問(変だ!では無く、素朴なクエスチョンの意味の)を抱いた切っ掛けは今から数年前に、創世記の神が天地を創造したと言う記事を改めて読んだ時でした。神が創造する光景は恰も人が覚醒する時に似て、人が認識する事と同じ位相ではないかと感じた事です。どう言う事かというと、神が創造する事は人の認識範囲内の事を追認しているにすぎないと言うことなのです。鳥にとって木の枝でも電線でも留まる事ができればその差はどうでも良い事の筈です。ですから、鳥にとっての創造されたものと言うのがあれば、木の枝と電線の差はなくて、留まる行為に対して認識範囲があれば良い事です。その様に人間とっての創造された事とは他の動物よりは認識精度は高いかも知れませんが、飽くまで認識範囲を超えることは絶対に有り得ないことになります。それでこの物語が古代人の考えた単なる創造物語ではなくこの物語に仮託して何か別の事を訴えているのではないかと考える様になったのです。その後は神の創造行為とヘブライ人の物語との接続のあり方に思いを巡らしたのですが、中々良い答えが見付かりませんでしたが、興味は神名について飛んだりし乍ら何故神名が日本語からは察せられない現象、複数形なのかなど考えていました。或いは神聖四文字(YHVH)の意味について思い巡らしていました。/…
❶そして或る時普通名詞の「神」が複数形であることを無理に単数ではなく素直に複数形にしている理由がある筈だと、理由は解らない乍ら複数形で良いのだと考える様に努めたのです。尊厳の複数形との解説、学説を先ず拒否してみました。元々複数形にした理由がある筈と考えた方が早い、或いは正しい考え方の筈だと言う風に切り換えたのです。するとその後次々に多くの思い当たる節に遭遇して行ったのです。抑も尊厳の複数形との議論の立て方は、「神が一つである」との観念に縛られているから成立している学説であると言う事が解ったのです。確かにトーラーには「神はひとつである」と主張しているところはあります。しかし、トーラーは無理を覚悟で訴えたいことが別にあった筈なのです。本当に「神」は数の問題だったのでしょうか?他の主張はなかったのでしょうか?/… 
❷神が六日間掛けて創造した事はどう言う構造になっていたかを次に考えてみました。すると神はその仕事に充足感を持ってやり遂げていた事が、族長物語、出エジプト記等と比較して浮かび上がってくることが解ったのです。出エジプトに至るまでのヘブライ人の境遇は丁度その逆の立場でした。その詳細は読者が既に知っている通り出エジプト記に書かれている通りだと思います。ヘブライ語原文には日本語聖書では解らないことも書かれていますが、大筋は合っていると思います。出エジプト記には神がモーセに自ら名を明かしている重要な場面がありますがこれについては改めて書こうと思います。否!既にこれは書いていましたが、再録します。/…  
❸資料仮説と言うのがありました。神と言う表現にはElohimという表現とYHVHの表現の二種類ある事の説明に古代にイスラエル、ユダヤ二国家に分かれていた為其々の伝承を混成したものであるとの仮説です。私はこの説が何を説明しているのか根本的に解らないと思っていました。この説も神がひとつであるという観念を前提にしていると思う様になっていましたが、更に私はトーラーは度々の宗教改革を経験している筈と言う妄想に近い考えを持っていましたので、そう言う方向から考えられないだろうかと思ったのです。資料仮説は何故二種類の神名を並行する必要があったのかの説明が出来てない様に思ったのです。何か根拠があって二つの神名が必要だった筈なのです。其々の役割が違うと見るべきだと思いました。また、宗教改革の反映は恐らく創世記の頭から書き直しをしたであろうと思います。これは原文を読めば分かります。神名が改革後の姿で初めから登場する事から分かります。/…
❹神と言う言葉に原義、語源的な部分があると言う事は複数形の件を解決してくれそうです。そこで改めてトーラーを読んでみます/………  

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