מבנה

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2014年3月21日金曜日

  「一神教」対「多神教」と言う言葉の如何わしさ  

「一神教」と「多神教」。この区分け程いい加減なものはないと私は思っています。「一神教」と「多神教」は恰も神の数を区分の根拠にしている様に見えるからです。この様な上っ面な表現が横行している事に先ず腹が立ちます。ユダヤ教は神が神として成立する前から=原義的な段階からある主張を表すために「神は一つである」と言ったのです。今から見れば多面的な表出を根源的な源泉に求めたと言う事なのですが、通俗的な宗教解釈に援用させて神が如何にも数の問題が存在するかの如き印象を学会を作ってまで吹聴する有様です。ユダヤ教が過去に行き当たった問題を汲み上げずに安易に数の問題に矮小化する事は学を生業とするもの達の飯の種にはなるかも知れませんが、本質を大きく逸れた所業であると言わざるを得ません。
  私も昔は単純に「一神教」と「多神教」と言う区別をそのままに受け取っていたのですが、トーラーにはそんな単純な区別は存在せず、無意味な思考、観念であったと今は反省し ています。 「一神教」の方が優れた段階であり、「多神教」は劣った文化圏に属すると暗に偏見の素地のようなものがあったかも知れません。「一神教」と「多神教」の区別は胡散臭いと秘かに感じてはいたのですが、ハッキリとした考察が出来ないままにいたのです。トーラーにはそんな決め事があった訳ではありません。その様な問題意識もありません。数の問題では無く、人に必要な事は一貫性であると主張したのです。「神(文法上の複数→単数扱い)」と言う名を使う事によって。
トーラーをヘブライ語で読むと言う事は、自らの脱皮には大変役に立つと思います。トーラーには隠された気づきの方法が用意されています。翻訳自身にはそこまで気付きがなかったためでしょうか、スッポリと抜け落ちている事が殆んどであろうと思われます。ヘブライ語聖書=トーラーは設計、著述までの細心の神経で書かれているのだと言わざるを得ません。トーラーの真の姿はヘブライ語で読む事を徹底しなければ、勘違いの増幅が続くと言う事だと思っています。  

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