| 「神様って居るのかしら?」と言って悩む必要は全くありませんよ!「神」とは人が生きる為の最善の方法、最良の方法の選択肢の象徴です。トーラーは神の存在が前提に述べてはいるけれど、人が最善の方法で生き抜く為には、「知恵」と、「勇気」と、「貫き通す力(=一貫性)」、「強い意思」等が必要だと言っているだけですよ!上の方にも居ない、空中にフワフワもしてない、髭の爺さんでもないと言っているのです。ですから、神「Elohim」即ち「力El(=Power)」の複数形になっているのです。正確に言うと「Elah(力の女性形)を男性形に矯正して複数形にした形」になっているのです。何故そうなったのでしょうか?太古の民衆にとって神は女神だったのでしょう。恐らく!女神としてしか認識出来てない土着の民衆に新しい神像をイメージして貰う為には、それなりの工夫が必要だったと言う事ではなかったのかと思います。女神としてよく理解していた存在を男性原理の新しい神像に作り変える必要があったので、工夫が必要だったのではないでしょうか?「女神=Elah」は女性形で「ah」の部分に本来アクセントがあったのですが、男性複数形にする為の語尾「im」を付けてしまった結果、アクセントが「im」に移動したので、その為、「ah」が「oh」になったと考えています。この現象は現在でもカマツガドール(a)とカマツカタン(o)の記号がが同じ形をしている事にも痕跡があります。この現象は遥か太古の昔からあった筈なのですが、或時、文法的自覚があり、整理されたと言って良いのではないでしょうか。この考え方は大胆過ぎて支持され難いと思いますが、仮説に大胆か否かの躊躇はこの際、全く不要と考えています。戦場に向かう兵士に向かって「死ぬなよ!」と野暮な事を言うのが愚である様に、私にとって大胆な仮説は大胆であればある程戦場に送り出す兵の様なものです。兵隊に資格など不要ですから!疑問に思う向きには自由に反論の自由はあるのです。この考え方はアブラハムがカナンに移住したと言う物語りにヒントを得た仮説である事を申し添えておきたいと思います。 トーラーと言うのは叙述であり主張であり、表出なんです。論文でもなければ、法律の条文でもありません。人が生きようと必死に頭脳をフル回転している姿を描写しているのです。神が一人だろうと複数だとそんな事は問題にしていたんじゃないんです。先ず人の生き方の様々なあり様があったのです。生きる為に真剣に取り組んだ有り様が複数と表現され、その多様な生き方の源泉を求めた結果なんです。近現代のユダヤ人の生き方を見て下さい!トーラーの言わんとしている事をよく汲み取っているではないですか!生き方の多様な有り様を見て下さい。様々な発見をし、発明をし、思想を切り拓き世界を押し広げることに取り組んでいる人々が居るじゃありませんか?! |
מבנה
連絡先⬛︎graphico_ss@icloud.comへご質問がありましたらこちらにメールを下さい!療養中の身なれば固定電話は簡単には出られませんので。何卒、お許しください。
2014年12月18日木曜日
| 150)「神様」の存在を信じるのは結構だけれど…… |
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿