מבנה

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2014年12月25日木曜日

157)トーラーのテーマについて

トーラーは冒頭から最後までとは行かないが、一貫したテーマが見え隠れしています。創世記における神の仕事を見るとテーマに対して理想化されてはいるけれど、族長物語では丁寧な形でテーマに肉薄していると思われます。そのテーマとは人の生存の為のあらゆる営為についてです。営為は頭脳の明晰さが最も重要な事として扱われてはいますが、トーラー自体は寧ろ営為の充実性を最も重視していると思われます。何故なら創世記冒頭で神は創造の仕事の度に「Ki to:v!何と良き事かな!」と満足し、充実感に浸っているからです。創造と満足を組み合わせとして扱っているからです。即ち営為が全く自らの為に行われているということに他なりません。それに対してエジプトで奴隷として働いていたヘブライ人達は全く自らの為の労働ではない境遇に貶められていたのでそれに対してモーセはヘブライ人達を脱出させる事を図ったのです。極めて尤もな旗を降ったと言えるのですが、モーセは目的をほぼ達成したかに見えた直前に死んでしまうのです。何がダメだったのでしょうか?モーセを「長旅の所為」「年齢の所為」とかの無難な理由で解釈するなら解らなくなります。この書が警告の書である事を思い出して頂きたいと思います。モーセがし忘れている事に目を向けなければ解らない事です。し忘れている事と言うか、していない事があります。熱心にしている範疇のものはありますが、トーラーにはモーセが神との会話をしている記事はありますが、「モーセの神」という言い方は一度も出てこない事に注目して頂きたいと思います。>モーセは民族の神を宗教化する事には関与しましたが、「モーセの神」と言う表現に値する営為をする列には加わってない事に注目すべきです。明らかにアブラハム、イサク、ヤコブとは同列ではないのです。モーセは数々の奇跡を起こしていますが、奇跡を起こした事を以っては「モーセの神」と表現されるには至ってはいないのです。「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」という表現は何度か出て来るのにです。と言う事は明らかに神と言う概念が考え直されて良い筈です。神は三人の族長の事績に由来する事は明らかです。少なくとも、「Elohim」が複数形になっている理由には一歩近付いた筈です。
解らない向きは読み直せば解る事です。どうしても認めたくないと言うならば、初心に戻って、初めて読む書籍として接すれば良いのです。そんな事は読み手の気持ち次第です!教会では解釈込みの読み方を押し付けられてませんでしたか?リセットしても良いんじゃないですか?/……

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