| 多くの宗教では教祖乃至教祖に準じる人物は教団の求心力維持のために特別待遇となり、教祖に対する侮辱的行為は殆んど罪悪であり万死に値するとして断罪の対象となります。そして、教祖を侮辱されたとかで親が侮辱された以上に屈辱に感じて憤慨し殺人に至るのが今回のフランスでの事件です。 私はこのテロ事件の被害者は出版社の殺された編集者もさることながらテロリスト自身も宗教的被害者と言って良いと思います。確かに教祖と言う存在は様々な気付きを与えてくれた存在であり尊敬すべき対象ではあっても極度に祭り上げる事は慎まなければ、人間はそれ程強い存在はでは無いので、過剰な偶像化は人を誤らせる事になります。人其々に最善の生きる事を教えてくれた事は有り難く思って良いのですが、それ以外の本末転倒な過剰な偶像化は不要なのです。ユダヤ教はハッキリそれに気が付いており、過剰なヒエラルキーや偶像化は拒否しています。イスラム教もその様に見えますが真の理解をしていない輩がいる事は残念の一言に尽きます。宗教的従事者は極端な宗教的自己同一化を戒められる様に人々を誘い導く必要があると思います。自省も出来ない宗教では何の為の宗教なのかと言う事になると思います。教祖をと言う存在が真の目的を見失い救済すべき民のお荷物になってはいないかを自省すべきと思います。 教祖がお荷物だなんて言いますと又どなたかのアイデンティティーに抵触して、逆鱗に触れ兼ねませんが、それ自体が矛盾であり本末転倒なのだと申し上げたいと思います。宗教は往々にして教団を構成しアイデンティティーの維持を求めますが、大衆は当初の目的をも忘れてしまう事すらあります。元々何を求めていたのかを忘れて教団の文化に飲み込まれてしまう時もあります。本来の目的は自己内部との対話を欠いては達せられません。宗教はいつの頃からか個人救済にばかり目を奪われる様になってしまいました。宗教が包摂力を徐々に失った事の表れなのでしょう。代わりに教祖の位置付けが格段にクローズアップされる様になったのだと思います。宗教的全体主義の病理です。宗教はいずれ病んで見向きもされなくなるでしょう。宗教が病んでしまっては人間の救済どころではありません。 |
| 又、日本では教祖の死刑執行を控えている教団がありましたが、一種の陽動作戦なのか教団を分割して目をそらしている様です。教祖の死刑執行が実行されれば本性を現すだろうと見るのが当然ですから、それ迄は絶対に目が離せないと言うのが正しい警戒の仕方と考えて良いと思います。教団を二つに分けた姑息な手段は大変見え透いていると思います。二者は復讐の挙に出る事は十分考えられます。必ず連携して追及をかわすものと考えます。平成7年に事件が起きた事ばかりに目を奪われていると、サリンを密かに以降も隠し持って逃亡しているグループもありうると言う事を捜査担当者は想定しているでしょうか! 「あんな教祖と一緒にするな!」「ごもっとも!」 |
| 宗教に於ける教祖と言う存在は確かに気付きを与えてくれたのですが、究極に救済されるべきは貴方、私であると根本的に思い直す必要はあると思います。 |
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