מבנה

連絡先⬛︎graphico_ss@icloud.comへご質問がありましたらこちらにメールを下さい!療養中の身なれば固定電話は簡単には出られませんので。何卒、お許しください。

2015年1月11日日曜日

164)宗教は抑えられない純化の衝動を孕んでいる!

フランスで起きたテロ事件は日本でも形は違うが大きい規模で既に起こった事です。宗教がらみである事が共通しているのです。何故なんだろうと思いますが、この様なテロを正当化する論理が働いているからこそ関わる人間が決意に飛び移る事が出来るのだろうと思います。テロを起こす宗教共同体の構成員が宗教の代弁者となって自己同一化して行動を日頃から行っている乃至、行なおうとしています。それは或る意味宗教の純化です。宗教の純化は色々な側面で現れるので構成員にとっては日常信仰の延長とも言えます。又或る意味では高揚感も伴うので自己同一感は否が上にも増す事になります。純化は正当化に強固な基盤を与え理論化にも貢献します。純化は半面正当化でもあり乍ら、半面は倫理の破壊にも繋がり、正当化と倫理破壊の同居ともなります。テロリストと宗教後継者は同じ脈絡を持つ事になっているのです。
即ち宗教の抑えられない衝動とは純化と拡張と経済と権力です。純化とは源流に遡ろうとする鮎の遡上の様なものです。これによって正当性に近付いたり純粋信仰に近付いたりする訳です。
宗教は厄介です。宗教は国家にも似ています。国家に所属するのではなく国家は自己同一化をも求めます。宗教は合理性を一切内包していない点はテロリストも通常の信者も根は同じです。自省する契機が全く無いのです。又信者は全く教団の歴史を捉えられていません。教団主催者、幹部の言われるままです。歴史の脚色は政治権力の歪曲と手法を等しくします。
しかし、ユダヤ教においては純化の様な現象は恐らく見られない筈です。何故なら、ユダヤ教の信仰は人間の営為の可能な限りの開花であるからです。ユダヤ人にとって、信仰は人間のあらゆる営為の側面の拡大であり創造の延長であるからです。
宗教は常に脇が甘く出来ている様です。揶揄される事は覚悟すべきでしょう。いちいち、揶揄されて憤慨していたら身が保ちませんよ。いちいち相手を殺害に及んでいたら敵に幾重にも囲まれてしまいますよ!

0 件のコメント:

コメントを投稿