| トーラーには確かに神の天地創造から物語りをスタートさせてはいますが、それを以って神を第一義的には考えていないということに気付いているでしょうか?神の天地創造とは人の営為の有るべき完璧形、有るべき完成形である事が解りますか?それは神の創造物語りに託して、人が自ら如何に充足すべきかを真っ先に提案しているのです。そして、充足した営為を貫けない人間は惨めな生き方しか出来ないのだと言う事をあらゆる場面を展開して警告を発し乍ら伝えているのです。トーラーは時たま時間過程の順序を無視して表現することがあります。認識と行為の逆転等です。これはやむを得ない事だったと言えます。と言うのは、民に注意を伝える為に、記憶の為に宗教の絡繰りを利用せざるを得なかったのです。直接的な表現では民は耳を傾けなかったからです。アダムは早速頑なな自己の意思を貫けなかったという失策を冒しているのです。木の実の事などどうでも良いことだったのです。神の最初の営為を読み過ごしてしまうと、アダムの失敗が何だったのか解らなくなってしまうのです。そして、アダムによる原罪論などという架空のナンセンスな観念も無関係となるのです。宗教の矛盾はこの様な架空の理屈によって無辜の人を苦しめて行くのです。宗教は救済を標榜し乍ら真逆の事をしてしまう事もある存在です。人が自立、自律していなければならない根拠がここにあります。トーラーとは人が自立、自律していないとマトモには読めないのです。 |
מבנה
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2015年1月4日日曜日
| 162)「人の営為見ずして何をか捉(トーラー)えん也!」 |
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