| 人の存在とはトーラーの指摘の様に地の塵で出来ていると言って良いと思います。と言う事は、素材は他の物質と同様、物質的存在であると言う事を言っていると思います。物質は近現代の知見通りで、原子、素粒子を素材としている事は疑い様がありません。宗教的な人達や世俗の人達でも物質的な世界と霊的な存在とを並行的なものとして考える節があります。物質的な作用がまだ充分解明されていないと言う事だけなのであるから、それを解明を待つのみですが、そこ迄の解明を待つ迄もなく、人は物質の作用の一部としての精神活動を持っている事は疑い様もない事です。何故宗教担当者は並行的な存在として扱うのでしょうか?それは結局不勉強であると言うしかありません。又、霊的な存在を維持しておいた方が都合が良いと言う事だと思います。人間の矛盾してはいるが可能性を信じたヘブライ人の先祖達が自問自答し、戦った結果がトーラーに遺されたと言うべきでしょう。 人は物質の一部であると言う認識は、人が認識するに当たり観察出来る範囲は一部でしかないと言う謙虚さの表われと感じます。ですから、協業であろうと視点の一部でしかないとトーラーは解っていたのだろうと思われます。この様にトーラーの認識方法は先験的なものはあり得ず、視点の集積があるのみとなりますので、先験的存在は全て疑義の対象となります。 現代においてもかなり聡明であると思われる人でさえも霊やあの世の存在を払拭出来ないのを見聞きします。彼は思想的な葛藤を自己内に維持出来ないのです。近現代の知見が部分的な教養に収まってしまっているのです。人が進化した末の存在と言う事が受け容れられないのでしょう。倫理が自らこの世にうち立てなければならないと言う事に躊躇しているのでしょう。戸惑いがあるのでしょう。その証拠に倫理の維持が権力的な分業になっている事にも表れています。倫理の維持を権力に依存しているからと言う事なのです。 |
מבנה
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2015年1月17日土曜日
| 168)人の営為や認識を通り越して超越的な存在などない!「先験的超越存在への疑問」 |
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