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2015年2月2日月曜日

177) 何故トーラー(תורה)が旧約聖書(Old Testament)と言われて貶められるのか?

  
折角のユダヤ人の営為の結晶「トーラーתורה」は単なるキリスト教前史としてしか見られていません。そして、新約聖書new testamentに対して旧約聖書old testamentと言う名前に甘んじさせられているのです。甘んじていると自ら言っている訳ではありません。旧約聖書と一方的に貶められているのです。尚且つ旧約は破棄されたと言われてるのですから誰もトーラーを独自の書として扱おう、読もうとしないのです。その様な風潮が圧倒的な事には由々しき事だと思わざるを得ません。新約の前史などと言う簡単な構図では説明出来ない位独自性の強い書であるにも関わらず、故意に看做されているのです。私はハッキリとトーラーの独自性を見逃している者の責任であると残りの生涯を掛けて明確にしたいと思います。旧約は破棄されて、新約に入ったなどとよく言いますよ!
旧約聖書が新約聖書前史であり、予言だとしたら、旧約聖書即ちトーラーは極めて従属的な書と言う事になるじゃないですか?新約聖書を書いた人達のトーラーの読み違いがあったのではないでしょうか?文字の上っ面をなぞっただけのお粗末な読み方をしていたのではないでしょうか?トーラーは物語どうしの組み立てに構築Constructionの跡が透けて見えます。これをシッカリ観る事によって今迄見えなかった主題が明らかになって来ます。これを掘り起こせば物語の真の意味が生きて来るのです。別の物語が隠されていると言う事ではありません。新たな活性化された姿を観る事が出来ると言っているのです。
トーラーは新約聖書の前史どころではありません!大変この二書には編集の仕方に違いがあります。①新約聖書が直接話法であるのに対して②トーラーは気付きを喚起させる為の喩を多用した間接話法になっている、警告の書だと言う事です。トーラーはその警告を直接話法で伝えている訳ではなく、構造の組立ての中に隠し持っている事を読み手に感ずかせる手法を取っているのです。万一トーラーが剽窃された時に単なる童話位にしか見えない様になっていたのです。トーラーには言葉として正しき事がそのまま書いてあるのではなくディベートのトレーニングの為の書だったのです。人が現実に生きて行くために知恵の働かせ方をトーラーとの応答から学び取らせる事が目的なので、脳を如何に活性化させるかが目的になる様に書かれているのです。読んだ者が気付きを得られればしめたものです。読んだ者が学べば目的の達成と言えると思います。トーラーとは他者に依存した学びは拒否しますが、自立した学びは賞賛していると言えます。
  

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