מבנה

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2015年4月26日日曜日

231)宗教の非和解性

 
残念乍ら宗教は観念形式に深く踏み込んでいる為、優劣感を人間に産み付けます。優劣感を植え付けるという事はこちらが正しい!そちらは間違っている!等の決め付けが行なわれる事です。
最近はイスラム教系テロリストのニュースが随分多くなっていますが、テロリストの、他の人間に対する越権的行為は例えばキリスト教の福音主義等も既に現れています。それを吹聴し、優越的に位置付けている点に於いて変わる所は無いと思います。相手の立場も認めると言う倫理を初めから持つ事が出来ているのでしょうか?倫理を個人の強さを介して生み出される事が出来ても、必ずしもそうなるとは限りません。人は苦しみ乍ら何かを生み出す様に出来ているのかも知れません。宗教が内省を組み込んで成立している事は珍しい事だろうと思います。キリスト教の福音主義は決してベストの答えとは限りません。誰から誰への福音だと言うのでしょうか?この様な立場では世界観と言う大枠を対象化する事は殆んど不可能ですから、疑いを挟む発想は生まれないでしょう。宗教はノアの箱船と同じです。漂流して、座礁して、朽ち果てるに任せるしかありません。それ自体は目的ではなかった筈です。箱船を出てからは人は一人で生きて行くしかありません。ノアの子供達はその後棲み分けたのだと思います。もう、正しいと呼べる対象はその時からは無いのです。自ら打ち立てるしかありません。
宗教は互いに非和解的である事はしょうがないのではないだろうか?と言うのは今存在している宗教は宗教改革を繰り返した末の姿なのですから。互いに手を結ぼうが、和解のフリをしようが、それは厳然とした経緯があったのです。そのような目で宗教を見ておかなければ正しい姿を見る事は出来ないと言うべきです。宗教は自らの持つ非和解性を認めなければ一歩も前に進めないと言うべきです。
 

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