מבנה

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2015年5月6日水曜日

243)トーラーの世界観

トーラーから学べる世界観のあり方は「地は混沌であり、……」に代表される様に、世界と言うのはよく整理されたものではなく、「グチャグチャ」であるので、「神はBara'した。先ず天と地を」その後名付けられた通りに「Bara'=取り敢えず創造と訳されている。」をした。と言う事はよく整理して、分析して行なって「何と良き事かな!」と満足し、最期に安息したと言う充実した訳です。よく整理されてない状態から分析し自らの整理の仕方で知るところとなる訳です。その権能はいずれ人に受け継がれた事になって、充足すべきは人である様になるのですが、折角引き継いだ権能を有効に生かしたか否かがその後のストーリー展開になって行くことになります。
少し現代語風にまとめてみると、
①人は地に生きている存在です。人の目前に拡がってる世界は整理がついておらず、人の前には雑然として人を苦しめている。その雑然とした状態を丁寧に分析して整理して、目的に合う様に名付けをして、場合によって組み替えるべきなのです。その営為は人自ら納得した営為としなければならない。自ら納得の行く作品を以って自ら充足すべきである。(この考え方はカインとアベルの仕事の差にも表れています。単なる人類最初の殺人事件などと言うのは皮相的な感想に過ぎません!殺人事件では何を言いたいのか解らなくなってしまいます!トーラーの主題を見失う事になってしまいます!)

◎トーラーには、元になっている物語の出自の物語の内容によってはに見えにくい点も多々ありますが、縦糸を常に意識して見失わなければ、縦糸と横糸はシッカリ組み合わされた織物に縫い合わさっていると解る筈です。従ってトーラーの世界観は人にとって眼前の世界は未知であるので自ら解明し整理して、対処し、知を自らの責任で構築し且つ人どうしの間では共有知と出来ます。世界は完全には出来上がっていた訳ではないので、人間の世界創造の余地は十分に残されていると言えます。人の役目は終わっていないと言う事です。トーラーは原罪論の根拠ではなく、人は罪人であると規定されている訳では全くなく、本筋は創造論であると言うべきです。しかし、日本人は人間が主体の創造論に理解を示せるだろうか?明治維新以降の西欧に見習う事しかしてこなかった日本人は、西欧が既にキリスト教によって世界は既存性を疑わない思想に染まり抜いた言えます。従って日本に於ける思想の発達も限られたものにしかならなかった。少しでもトーラーとの接触が別の形であったなら西欧讃美を客観的に観る事位は出来ただろうにと思います。日本人は西欧を何の批判も無く、憧れた愚を深く反省しなくてはならないと思います。その様な劣等意識が他のアジア諸国に対する態度にも如実に表れてしまったのだろう。西欧文化は何の疑いもない事だったのだから「アプリオリ」な考え方と言うものが呪縛として染み付いたのだろうと思います。トーラーの思想と言うものは地上の全てのものを対象化する思想に通じるものなので、人間の側の独自性、自立性が必要な思想でもあります。

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