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2015年11月29日日曜日

315)宗教の虚構性と世俗性

宗教とは虚構等を利用して、人に救済を与えるものであると考えて良いと思いますが、時として虚構を実態視して、トンデモナイ事件を起こしたりします。宗教を主宰するものは必ず勘違いする輩が輩出することがない様に世俗に対して誓約すべきではないかと思います。大衆は個々が自立していないので、虚構と実態との境界線を設けられないのです。従って世俗社会に対しては虚構性の境界線を明らかにしなければ、世俗社会に犯罪者を供給輩出する機関として働く事があると覚悟しなければならないでしょう。世俗の方から言えば宗教が社会の装置として正常に働く様に監視する事も全く必要とするところだと思います。監視の必要どころかそれ以上に踏み込んで、例えば虚構即ち詐欺等の構成要素と看做す事もあり得るのです。従って宗教を主宰していようと、していまいと宗教の言辞には虚構以上の虚偽と看做される覚悟が必要になるでしょう。宗教が未来永劫存在すると思ったら大間違いと云う事です。
仮に大衆が蒙昧であろうと無理に目醒めさせると云うとその後は大衆が真に自立出来るだろうかと云う事があるかも知れません。それは問題になりません!それが正しい方法なのですから、自立とは自ら道を切り拓いて行く過程が前提になる訳です。建築物と同じです。積み重ねの過程があるだけです。強制、規制と云う既得権を守りたい欲望の勢力との恐らく激しい葛藤があるだけです。既得権とは教団の存在も大きいと思います。強制の規模は当初の目的ではない筈ですが、教団と云うのは世俗には既得権を作ってしまっていたと云う現実がありますから、教団によっては規模が拡大してしまうと、まるで世の中を変えた様な認識になってしまうのでしょうか?宗教教団の世俗的利害関係は世俗に長けた者以上に巧妙に働くかも知れません。実際にその様に機能しています。大衆が目醒める切っ掛けを与えたら目的の半分以上は果たせているのですから後は教団の束縛から解き放つ事を考えてやれば良いだけではないでしょうか?/……

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