| 「神Elohim」を「力」と理解しても語感は随分違います。ですから、私は「能力」と約したのです。脳力でも良いと思いますが。これは人が生きて行くうえでの必要な営為を追認したものに違いありません定義の出来ない「神」を無理に信じる事までしなくても良い訳です。「能力」には努力しなければならない訳ですから、待ってて手を差し伸べる神など居ないと云う事になると思います。 |
| 「Elohim」については「尊厳の複数形」と云う説がありましたが、これは意味上は単数であるが身分の高い人が一人称を複数形で言い表すというヨーロッパの印欧語内で起こった現象でした。しかし、この現象は時代が明らかに新しく、印欧語で起きたげんしょうです。ヘブライ語という古い言語でその様なことが起こったとしても、この説明は非常にバイアスの掛かった見方に思えます。「Elohim」と云う存在は身分の高い存在なのでしょうか。抑も語源的に正しい説明なのか不明です。古いヘブライ語の世界でそれが起こったのだろうかと疑わしく思います。寧ろトーラーの中にその答えはないでしょうか?/…… |
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