מבנה

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2016年1月30日土曜日

393)没個性を強要する宗教など必要ではない!

キリスト教は何でも受け容れる程入り口はだだっ広いが、出口は狭く便秘の人間の肛門の様なものである。皆同じ回路を潜らないと外に出られない、解放されないのだ。解放されないどころか、同じ回路を通った筈なのに解放されるとは限らないのだ。キリスト教は解放の処方を持たない!同じ姿と形式を踏んでいるにも関わらず何時も同じ事の繰り返しである。罪の告白を何度も繰り返しても罪人から抜け出る事は出来ない。変だ!何かが変だ!便秘解消の処方を本当にもっているのか?!トーラーを能く読んだのだろうか?トーラーを何処か読み飛ばしてるんじゃないのか?!
トーラーにおいては個性しかその処方はあり得ないのだが。個性が能力を発揮する事しか処方は無いと言っているのではないのか?個性しか世界の創造の後継者に名を連ねる事は出来ない事なのだから、トーラーの最も重要な価値は個性による創造を以って参加する事。二番煎じ、従属性は全く意味のない事なのである。トーラーの何処に書いてあるか?読むより前に心のバイアスの蜘蛛の巣を払いのける事が先ではないのか?
キリスト教はファリサイ派を批判したが実はファリサイ派が独自に掘り起こした事が矢張りトーラーの中にあるのである。それが創世記冒頭に全て詰まっているのである。下衆はその証拠は?と聞くだろうが、心眼がそれを見るのだとしか言えないが、それで十分である。トーラーのどこがどう呼応しているかは心眼が見るのである。心眼と言う言葉に同意出来ないとすればトーラーに同意する気持ちがあれば十分である。何事にも証明が必要な世界はそれを否定する者ではないが、同意という方法でも十分な事もあるのである。

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