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2016年3月11日金曜日

276)新約聖書と旧約聖書との違い

新約聖書と旧約聖書と比べて何が違うだろうか?新約聖書は端的に言えばイエスと言う人格を記し伝えるものとしての「イエス伝」とも言うべき文書である。それも主に四つの並行記事による伝記である。従ってイエスの無謬性を証する目的を持っている文書である。ところが、旧約聖書は洗いざらいの失敗と栄光も含めたユダヤ人の先祖=ヘブライ人が子孫に残した遺言の書であり、子孫を強い民にする為の脳トレの書である。先祖の栄光を記念する形を採れるよう強い民とは逞しく生存して行けることを指している。従ってこの二つの書には編集上の決定的な違いがある事を先ず理解しておかなくてはならないと思うのである。
新約聖書をイエス伝などと言うと不快に思う向きもあるかも知れないが、どう言う目的が当初にあったにせよ、地上の人だった者を無理して神に祭り上げているのだから、ユダヤ教が育んできた警戒、危惧する所に触れている事には違いはないのである。イエスには不幸な事ではあったが、ユダヤ人の警戒心は解けなかったのであるとしか言い様がないのである。イエスが同朋の警戒心を最後まで解く事が出来なかった事は止むを得なかったとしか言い様がないのである。地上とはどこからどこまでなのかを問う事無しにはこの問題を明らかには出来ないだろう。イエス自身はどう考えていたのだろうか?恐らく地は混沌であり」という認識は共有していた筈である。往々にしてクリスチャンは創世記冒頭を単なる世界の始まりとしてしか読んでないのではないのか?神が充足して発した言葉「ki to:v!」を何故その様に言ってるかを問おうとしてない様に見えるのだ。

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