מבנה

連絡先⬛︎graphico_ss@icloud.comへご質問がありましたらこちらにメールを下さい!療養中の身なれば固定電話は簡単には出られませんので。何卒、お許しください。

2016年3月11日金曜日

275)独白

後二年程で七十の齢を見る事になる団塊の第一世代ですが、恐らくこの目黒の地をもはや離れる事はあるまいと思う。そこで前から温めていたユダヤ教の聖典「トーラー」をキリスト教から切り離して本来のユダヤの目で見る事を試みようと考えている。もうキリスト教徒の好きにはさせない!トーラーはキリスト教の付属物=旧約聖書として読む事には最早限界ありと言う思いで。キリスト教のバイアスから解放しなければ日本人は永久に誤解の暗闇、迷路から出る事は出来ない。東京は目黒の地。ユダヤ的視野を世界の辺境に追いやる事は何時迄も続ける訳には行かない。何故日本人がユダヤ教の視座を理解しなければならないかの根拠は追って明らかにするが、ユダヤは他者ではあっても普遍的な視野を有していると言える。更に、日本は明治維新以降の習いとして、西欧が全ての模範として来てしまった為、西欧の精神的基盤となっているキリスト教の思想も無批判に密輸入していた事を認めざるを得なかったと、思わざるを得ない。それでは、キリスト教は果たして出身母体のユダヤ教を正当に理解し咀嚼した上で成立していたたのだろうか?それを見直さなければ、途方も無く長い時代ユダヤ人が作りあげ守り抜いたユダヤ教を誤解したままの継承だったのだとすれば滑稽の極みとしか言い様がない。このユダヤ教の聖典「トーラー」を正当に理解する事が日本が西欧のお追従に終わらせてしまった事、従属的思考を止め自立的な文化形成を出来るかを視野に入れ得る事になろうと言うものなのだ。そこで、私は日本人が気付きの道を探ろうと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿