| 現代人は「知識」という言葉に悪いイメージを持ってはいないだろう。知識の付いた言葉は無警戒になるものである。現代人が特にお好みのものであるからだ。トーラーは全く違った価値基準を持っている。創世記冒頭近くにエデンの園の中央には二本の樹が植えられていて、早速人間は試されたのであった。どの様に蛇は悪賢かったのだろうか。善悪とはどう言う事だったのだろうか?キリスト教はここにスッカリ目を奪われてしまった様だ。トーラーの語り口は二分割して二者の区別を際立たせて説明をするのだ。知識の樹と生命の樹を対立的に置いている事に注目すべきであろう。知識はアプリオリの領域で既に出来上がっている事の謂であろう。生命とはアポステリオリの領域で答えが未知数、未確定、未体験の謂なのであろう。トーラーは圧倒的に後者=アポステリオリの領域に比重を掛けた価値観を持っていると言えるだろう。答えが出ていない事への人間の対応に力が発揮される事に価値を置くのである。この後に続く物語はこの価値観に纏わる展開を見せて行くと思って良いのだろう。 |
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