מבנה

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2016年4月24日日曜日

259)何に気付いたか?

私のブログは纏まりを心掛けてはいない。トーラーに触れたり私の主観に戻ったりしながら少しでも歩を進めようとしているのであるが、私の様な野良犬にしか解らないだろう事がある。一度教会の 門を潜ると途端に見えなくなってしまう事の一つにエデンの園のエピソードがある。キリスト教の原罪論の根拠である。エデンの園には二本の樹があり、善悪を知る知識の樹と生命の樹であったと言う。この二択は何だったのだろう。知識が象徴する事とは?生命の樹が象徴する事とは?トーラーが課題にした事が既に理解できれば直ぐわかる筈であった。問題はアポステオリ性とアプリオリ性と言っても良い位の事だったはずである。知識がどちらに属し、生命がどちらに属すかは解るだろう。私は野良犬になったから解った事があったのである。結局、キリスト教はポイントを外して全くトーラーを読み込んでない擬似的な世界に入り込んでしまったのである。幾らユダヤ教のルーツを幾ら探しても見つける事が最早できないのである。人間が罪深いと思うのは勝手であるが、トーラーにその根拠を求める事は全く出来ないのである。

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