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神の名前は二種類あって普通名詞「Elohim」と固有名詞「YHVH(Adonay ha-Shem)」があると言う説が誠しやかに語られている。又トーラーを編集するに当たり資料を根拠として説明される説もあるが、「Elohim」は北王国出自で、「YHVH」は南王国が出自であると言う様な。確かに神名は編集痕が見える所ではあるが、どう言う理由があれ、編集は表現の必要があって成されたのであり、普通名詞、固有名詞とハッキリ区別して表現されたと考える事には躊躇してしまうのである。抑もこの二語はカバーしている概念が違うと言って良いのだ。元はと言えばモーセが神の名を尋ねておきながら全く理解していなかった事から出ている。「YHVH」の語義通りに行なっていないのである。 |
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古代ユダヤ人が誰しも神名複数形と動詞単数形の組み合わせに矛盾を感じていたかは解らない。もし矛盾を感じながら放置したなら、ユダヤ人の風下にも置けない事である。それとも外国の勢力の干渉が激しかったのだろうか?防御法の一つだったのか?秘密を防御するためには誤解してもらう事も手かも知れないからである。トーラーは落差を利用した表現、修辞法の文学である。 |
何故、一見文法無視の様な主張をするのか?文法とは当該言語を観察した結果を纏めたものであるので、取り敢えず纏めた範疇に当て嵌める事が出来ない事もあり得ると理解しておかなければ逆に表現者の意図を読み損なってしまうだろう。表現者は文法無視を意図したのではなく、表現が文法規範に収まりきれなかっただけなのである。そのようなことを理解しないで合理化しても意味の無いことなのではないだろうか?と言うのが私の考えである。 |
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