מבנה

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2016年7月21日木曜日

キリスト教の主張するエデンの園の逸話が原罪論の出発だとするとそれは余りにもど素人の解釈と言わざるを得ない。それ根幹的な教義だとすると、余りにも幼稚である。子供の頃に聞かされた教義のまま過ぎるのである。ユダヤ教のネットワークからはずれすぎているのだ。例えて言うなら部外者の半可通な解釈の様である。エデンの園の象徴する所のものとは二本の樹の背反する価値観のことである。善悪を知る知識の樹は人が共有を前提にしたアプリオリな経験値である。生命の樹は未経験のアポステリオリな新規開拓の象徴である。従ってアダムらは安易な知識の樹の実を選んでしまったが、開拓精神の生命の樹の方も選び得た価値観でもあったのである。これをもって原罪を展開したとはとても考えられないのである。何故なら罪とは全く別の問題だからである。アダムの対応については別途考えてみたい。

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