| 私はこれまでトーラーを読んで来て驚くのは、キリスト教が余りにトーラーを歪曲し過ぎてはいまいか?この事は歪曲の度が過ぎて決して許されるものではないのではないのではないかと思うのである。能くユダヤ人は我慢し耐えたなと思う位である。トーラーは元々秘匿文書であった筈であるので、確かに上手く秘匿して来たのであろうが、何故キリスト教徒はトーラーの真のあり様が見抜けなかったのだろうかと不思議な思いがするのだ。矢張り一旦キリスト教の神学に嵌まり込むと抜け出すのは並み大抵の事ではないのだろう。一種の洗脳なのかも知れない。洗脳或いは長い物感覚なのかも知れない。この宗教が個人の緩い解釈をせざるを得ないところがあり、定義のしようがない事に付け込んでいるのだろうと思うのである。 |
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