| 宗教に関わる人は大なり小なり興奮性と言うか高揚感に浸っている様に観える。それはその宗教が望んでいる事だったのだろうか?一旦興奮の境地に入る事は現実が能く視えない事になっているのであろう。そこでは異常行動が観られたり、他者とのトラブルは日常茶飯事に起こる。何故宗教の周辺にトラブルが? 宗教は自他が認識している程には平和ではない。宗教とは剥き出しの敵意の壁に囲まれた観念共同体である。宗教同士が理解し合えると言うのは当事者同士が劣化して現実が観えなくなった証拠である。勿論観念の牙城が正しいかどうか不明であっても。 |
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