| 我々はお互いが単に同時代に生きているというだけの事ではなく、多くの知性が古代から始まった長い時間を掛けて積み上げて来た覚醒のネットワークを基に成り立っている筈です。特定の誰がという訳ではなく、多くの知性によって推敲に推敲を重ねた細かい仕事の膨大な積み重ねが網の目状に絡まり合って作り上げられた時代の重さとして存在します。その出来上がったネットワークの作品は極めて精緻であり、合理的で、検証可能な構造物に組み立てられており、誰でも何時でも、組み換え修正を提案出来、更に新たな作品に仕上げ直せるものです。ですからその作品の総体は未だ不完全で完成されたものではありません。その作品は基本的には応用可能であり、有用なものに提供が出来、技術に転換が出来るものです。その様に、お互いに享受し合っているものとして、時代そのものを、単に時計的時間的な枠組みとしてだけでなく、その様な質的時間として理解し合っている筈です。それでは、その様な時代的共有がありながら、或いは未だ相克の中にありながら、様々な因習的言辞に絡め取られて時代的共有を受け容れられない人々がいるとしたら、その古い観念形式を壊すことは意味のあることであろうかを考えることも必要であるかもしれないのです。どんなに遅れた古い観念形式を持っていようとそれを壊すのは至難の技という言葉以上の困難さがあります。我々が出来ることがあれば、古代の知性達が如何に悩み、苦しんで、それに対して答えを見つけようとしたかを探り出し、それらが如何なる普遍性を獲得し得ているかを明らかにすることの方が有効であるように感じるのです。遠回りでも、遅れた古い観念形式を持っている人々と共有出来るものを見つけ出すことの方に有益さに感じる者です。但し、宗教担当者は極力、蒙昧な言辞を取下げ、真に救済を求めている筈の民衆の枷にならぬ様に謙虚になっておく必要があると考える者です。ところがどうしてもその様な結論に至ることを避けられないと解ったなら、矛盾の在り方をを素直に開示すべきです。即ち虚偽の言辞を一切慎むことです。それしか誠意のある行動では無いと思われます。これはどの宗教担当者にも言えることです。例外は無いものと思います。 |
מבנה
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2013年2月9日土曜日
| 近現代に生きる、且つ、近現代を通過中とはどういうことか |
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