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2013年4月14日日曜日

一神教と言う固定観念

我々はトーラーを研究するにあたり戒めなければならない事があろうかと思います。研究者の多くがキリスト教の立場から入って行くのが現代の日本での実態であろうと思います。しかし、私が気がつくのは多くのクリスチャンが前提としている観念様式があります。要するに何の疑いもなく持っている観念様式です。それは「神」と言う概念が一つであると言う揺るぎない思い込みです。敢えて思い込みと言わせて頂きます。日本には一神教研究会なる学会も存在してキリスト教、イスラム教、ユダヤ教を一つの一神教と言う括りで研究対象としているくらいです。また、「神は一つである」ので、「同じ神を信じながら、何故この三つの宗教は不和なのだろうか?」と言う疑問も抱えてしまう事もあるでしょう。何故この様な思い込みがあるのでしょうか?こういった前提で研究の自由は保証されるのでしょうか。
それぞれの宗教は果たして一神教と言えるのでしょうか?常に一方向からしか見ない研究態度では自由な研究は出来ないのではないかと思います。
確かにトーラーの中に「神は一つである」と宣言している箇所があります。それを以って上記のような事を判断するのでしょうか?「神は一つである」とはどう言う文脈で言ってるのか解っていなければならない筈なのにそれを注視しないで即断するのは早過ぎるでしょう。トーラーを読む事を放棄したに等しい事です。トーラーの物語は巧みに神の姿、性格を描いています。その中には神は一つなのか、複数なのか、数の問題は必須なのか?数の問題を利用して更にもっと別のことを訴えているのだろうか?と言った事を注意深く読まなければならない筈と思います。安易で短絡的思い込みから自由になって、真のトーラーの姿を見極めなければならないと思います。

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