| 私の今の立ち位置は、トーラーのまだ見えていなかった姿を明らかにする事です。言葉には一葉毎の意味を持ちますが、葉を支えている枝の隠れた骨格が見え隠れしているものです。これ等の骨格も同時に読み込まなければ、退屈な古文献でしかありません。決して空虚な古代の文献止りの古書に終わらせる訳にはいきません。即ち消して某かの宗教の為の先駆的、旧約的物語に留めるものではないのです。正にトーラーは現実に生きるものとしての捉え方がなければならないと思っています。古代の人に具体的に力となり得た様に、今現実の私にとって力とならなければ、読む価値は無いと言って良いのです。研究だけに留まり其処に安住している訳にはいきません。某かのものの優越性を保証する事は意味の全くない事と断言します。これ自体に意味を持たなければならないのです。トーラーは現実に展開すべき各々の人間の思考、行動を現実と言う舞台に引きずり出すものとして存在しています。トーラーとは極々具体的な私の衝動を引き摺り出してくれる書と言えます。現実の舞台に引き摺り出すとは生存の為の書として、力を汲み出す源泉と成っているという事です。 |
| 架空の物語を無理して信じると言う愚かはする必要は全くないのです。トーラーとの応答にこそ意味があると言うべきなのです。トーラーとの対話無くして、即ち自己の確立を抜きにしてはトーラーの存立もあり得ないと言うべきなのです。 |
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