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2014年4月6日日曜日

「原典と翻訳」「翻訳から原典の質にまで迫ることができるのだろうか?」     

翻訳というのは原典とどう違うだろうか?翻訳が正しく訳されているか否かという問題を立てられるだろうか?正しく訳すとは一体成り立つ事なのだろうか? 問題は原典の中に原典の依存する言語の文法を含めた諸要素に極めて依存した主張があった場合、翻訳した結果、根こそぎ剥落するであろうと言う事を覚悟出来るだろうかと言う事です。言語間の移転は思いの外可能性の間口は開いてはいません。現代のグローバルな世界では翻訳のハードルが一見低いように見えるのですが、トンデモナイと思います。翻訳ソフトの不完全さを思い知らされた人は多い筈です。色々な理由で翻訳はハードルが高いどころか拒絶されてるに等しいと思い知るべきです。翻訳に頼った思考は何れ矛盾が露呈することを思い知るべきです。 Verb=動詞、Adjective=形容詞、Noun=名詞などの品詞分類とMeans=意味が一対一で定義付けられているのならこんな楽なことはありません。そんな言語どうしの組み合わせなんてこの世界にはありません。あくまで品詞は近い、意味も近い関係でしかありません。近いと言うよりはズレの方が大きく、トンデモナイ違いが発覚する事すらあります。  
細かい事だと見過ごす事は原典が何を主張して成立していたかを無視することになりますので、そこから発展した観念群の拠り所を失わせる事にもなろうかと思います。これは、三つの一神教と言われているものにも類を及ぼす事になるでしょう。翻訳は些細な事ではなく、矛盾を拡大させる事も十分あります。古代のユダヤ教には原典(トーラー)固有の主張があったのです。それを見逃す訳には行きません。     

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