| このブログの中で「宗教改革」と言う言葉を使ってる箇所があったら、特定の狭い範囲の「ルター(ルーテル)の~」という意味ではない事をお断りしておきたいと思います。「宗教改革」はどの宗教も例外無く持っているエネルギーです。それは従来の宗教の変更や批判の動機、骨格です。過去のあらゆる宗教が起こされた時の発意、発想の原点が従来の宗教の変更や批判があってこそのそこに引き付け、発展する為のエネルギーとしているものです。従って、当該宗教の理解の為にその正誤を論じる事自身はあまり意味ある事では無いと思っています。見るべきは当該宗教が何に対して批判の鉾先を向けているかを見る事が十分意味のある事だと思っています。当該宗教の訴えている事が批判の内容が解る事になろうかと考えています。批判力が構成員に対して訴えている事が世界の誤謬を正し、新しい方向を理想化して夢想させる力を持っているのだと言う事だと思います。従って、当該宗教を客観的に見ようする場合、当該宗教が内包する批判軸を見る事も重要であると考えています。宗教的文書を読む作業の際にも批判と言う視点も含めると理解の幅も拡がると言う事になるかと思っています。宗教が持つ批判が発信する言葉以上のメッセージを持っている場合がある事を感じざるを得ません。「宗教改革」と言う視点もあると解って来る事もあろうかと思っています。 |
מבנה
連絡先⬛︎graphico_ss@icloud.comへご質問がありましたらこちらにメールを下さい!療養中の身なれば固定電話は簡単には出られませんので。何卒、お許しください。
2014年4月3日木曜日
| 「宗教改革」と言う言葉とその普遍性 |
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿