| 十年も前になるだろうか、或方が或会合で「聖書のテーマは何だと思いますか?」と尋ねられたので、私は「自立がテーマだと思います。」と瞬発的に答えましたら、その方は鼻を鳴らして笑いました。私は何と失礼な!と思いました。人に聞いておきながら鼻を鳴らして笑うとは!しかし、この時の経験は私に新たな決意を呼び起こしたのでした。その質問をされた時には格段の確たる自覚を持っている訳ではなく、瞬発的に答えたのが実際の事でした。ですから、この時の赤面する様な体験がその後の思考の方向付けをしたと言えます。方向とは私の答えた通りです。と言う事は、トーラーには何か別の読み方があるに違いないと言う思いをする切っ掛けを作る事になったのです。この事件(?)までボンヤリと考えていたトーラーのテーマについて寝ても覚めても以後思い巡らせる事が続いたのです。 テーマとはトーラーが述べたい事、訴えたい事に他なりません。もう一つこのトーラーを携えて生きて来たユダヤ人の生き様とも符合していなければなりませんから、トーラーを読む事以上にユダヤ人の生き様を思い浮かべて行ったり来たりしました。即ちユダヤ人がどの様にトーラーを学んで来たのかについて考慮しておくべきと考えたのです。ユダヤ人はトーラーの何処を学んだのかについて思い巡らせました。しかし、簡単には手応えすら感じられませんでした。 但、トーラーとは何と矛盾に満ちた書であるかと思うばかりでした。特に創世記冒頭は何て馬鹿な事が書いてあるのかと読む事すら素通りしたくなる様な箇所だったのです。神が何を創造したって言うのか!と創造とは人にとって認識してる以上ものは作れる筈はないではないかと。創造とは人の覚醒を再現したものと同じ事ではないかとも思いました。神の創造と人の覚醒とは明らかに循環構造のチェーンの一つの繋ぎ目であろうとか様々考え巡らせました。兎に角、これが書いてある文字通りに読む訳には行かないぞ!と考えを改めた切っ掛けでした。 トーラーの落とし穴、矛盾には重要な役割があることにも次第に気がついて来ました。その一つが神名の不思議でした。神名に二通りあり、①一方はElohimであり、②もう片方はYHVHです。これらの神名は翻訳にあたり①は「神」と訳され②は「主」と訳されたところです。創世記冒頭では①を主語とした動詞が単数形であるのにElohimが複数形をとっているのですが、この現象を動詞の単数形を優先して名詞の複数形は「尊厳の複数形=単数扱い」との合理化をしたのがJ・ヴェルハウゼンの考え方です。何故この研究者は神が単数であると言う観念に囚われたのでしょうか?無理からぬ事だとは思いますが、それが研究者としての態度であろうかと私は疑いました。印欧語族のヨーロッパ諸語では尊厳の複数形という現象があったのかも知れませんが、セム語族のヘブライ語で書かれたトーラーにそれが当て嵌まるだろうかと言う素朴な疑問が先ず湧いて来たのです。神は一人だと言う拭い切れない固定観念が災いしているのではないかと思わざるを得ませんでした。印欧語族の世俗権力の世界に起こった現象をトーラーの読み方に当て嵌める事は何とも軽率であるとの印象を持ったものです。私は考え方を転換しました。仮に文法的な矛盾を起こしていようとユダヤ教が伝統的に伝承に当たり羊皮紙に書写する時は決して一字一句も書き換えてはいけないと言う言葉を思い出し、この意味を改めて考えて見る事にしました。そしてこの伝承は何を言わんとしているのかと考え、トーラーはこれ総て言わんとしている事即ち「表現、表出」なのだと気がついたのです。翻訳し難くても、表現は表現なのだと思い至ったのです。(中国語が文法指標が無くても意味、意図が通じる事を考えてみれば良いのです。)又ヘブライ語には文法指標があるけれど統語法が少し曖昧な部分もあります。古代のヘブライ人が現代人に向けて理解出来るように表現を手直しして用意している訳がありません。それでは神名の件に戻り考えてみたいと思います。神名には其々根拠があって①Elohim②YHVHがあると先ず私は考えたのです。未だヘブライ語について知識が十分でなかった頃から思っていた事です。①Elohim②YHVHには其々の役割を持っている筈とも考えました。①Elohimはユダヤ教が成立する前の古いカナン的女神の面影を残し②YHVHはユダヤ教成立後に確立した新しい神のイメージを訴えている様でした。その様にユダヤ教は過程を表現して方向を指し示す表現形式を持っている様です。これは取りも直さず表現表出の衝動を持ったものであり神に名前が二つあると言う様な単純な事ではないと思ったのです。トーラーはダイナミックに主張を持っています。それを見ずして皮相的議論を繰り返しても意味を持ちません。 その様に考えた根拠は/……… |
מבנה
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2014年10月31日金曜日
| トーラー(聖書)のテーマとは何だろうか? |
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