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2015年1月24日土曜日

174)ユダヤ人とキリスト教徒とはトーラーの読み方が全く違う

ユダヤ教とキリスト教とは同じ聖典を共有しながら、何故、どこが違うのだろうか?キリスト教は多くをユダヤ教に負い乍ら、単なる前史としてしか見ることが出来ず、キリスト教徒は未だにユダヤ人をキリスト殺しと言う蟠りを拭えて無いのは何故なのでしょうか?同じものを見ながらトンデモナイ方向違いの評価しか結論出来ないのは何処に原因があるのでしょうか?
しかし、ユダヤ人は学習を止める事はしない、何度も繰り返してトーラーとタルムードを学び続けるのです。何かが違います。終わる所を知りません。ユダヤ人はトーラーの冒頭に多くの思想的学びをしているのではないでしょうか?思想的学びとは立ち位置です。色々な考え方がありますが、ここでは私はいきなり結論を纏めたいと思います。先ず、全ては世界観の違いから……
キリスト教
「世界は既に神が作り終わっている。」従って、世界は神の所有物なので人間は神がどの様に世界を作ったのか解明するだけで手を加える余地は残っていない。「神の摂理を感じる」事が人間の精一杯出来る事である。出来るだけ罪を犯さない様にする。もし、罪を犯したら只管神に赦しを乞う。
ユダヤ教
「世界は未だ完成されている訳ではない。」「作るために安息した」と書かれてある。だから、人のするべき事は未だ未だ残っている。人の最高の充足は、新しい分野で新しい創造をする時に感じられる。従って人間が更に手を加える余地はあらゆる面で残っている。「地は混沌である」と書かれてある。
上記の見解は自分の中で十分完成されたものではありません。今後、変更もあり得ます。

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